アメリカ文学のながれ

アメリカはそもそもイギリスの植民地であったことから、国家として独立した後も、文化的・文学的にはイギリスの影響を強く受けており、初期の作品はイギリスの文学といえるほどのものもあります。しかしヨーロッパの文学は近代都市から発生したのに対し、アメリカ文学は広大な荒野との接触から生まれたと考えられています。広大な国土にまたがる様々な地域、ニューイングランドをはじめ、中部、南部とそれぞれ特色をもつ文学が生まれたわけです。では次にアメリカの主な作家とその時代背景、またアメリカ文学がどのように発達してきたか概観してみます。
 
 

Ⅰ. 独立から南北戦争まで

アメリカン・ルネサンス

アメリカ文学は19世紀半ばに飛躍的に成長しました。アメリカ文学史上最も輝かしい時代の一つであり、アメリカン・ルネサンスと呼ばれます。

 

ラルフ・ウォルドー・エマソン(1803-1882)

「超越クラブ」を創設。内面生活の探求をし、感情や信念を共有する運動を起こした「超絶主義者」の一人。超絶主義者たちは、論理を通してではなく、感情や本能を通して真実を見極めようとしました。彼らは紙をあらゆるところに見、自然それ自体が超越主義者たちの「聖書」となったのです。「コンコード賛歌」がよく知られています。

 

エドガー・アラン・ポー(1849-1849)

アメリカン・ゴシック小説の創始者チャールズ・ブロックデン・ブラウンらがアメリカを舞台に、アメリカに題材を求めたのに対し、外国・国籍不明の土地を舞台に、古い城など月並みな素材を使用し、最高の美を追求し、非現実的な人工世界を作り出しました。彼の作品にはグロテスクとアラベスクが共通して表現されており、奇怪な空想でメランコリックな調子の物が多い。

 

ナサニエル・ホーソーン(1804-1864)

マサチューセッツの港町セイラムに生まれ、祖先はピューリタンの有力者で、クェーカー教徒迫害、セイラム魔女裁判の判事などで有名です。彼の作品は、ニューイングランドの歴史や伝説を扱ったものが多く、ピューリタニズムの影響が見られます。罪と死の問題を取り上げ人間の心理の暗い影を追求しています。また、17世紀のボストンを舞台とした「緋文字」によってアメリカ小説に新生面を切り開きました。これは姦通を扱っていますが、社会的問題や性愛の問題としてではなく、姦通と言う図実がもたらす影響に焦点が絞られています。

 

ハーマン・メルヴィル(1819-1891)

ニューヨークに貿易商の子として生まれました。18歳で貨物船の船員になり、その後ロマンティックな海への憧れ、生活苦から捕鯨船員として南太平洋の島々をまわった。マルケサス諸島で船から脱走、食人種の中で4週間を過ごしたことが知られています。この経験から「タイピー」を著し、続いてタヒチでの経験から「オムー」を著しました。後にホーソーンと親交をもち、また、彼の作品に感銘を受け、「白鯨」を発表したが不評。その後の作品も不評で、次第に文壇から遠ざかり、忘れられた存在となっていきました。しかし、第一次大戦の後再評価され、今では「白鯨」は世界文学の傑作の一つとして数えられています。この作品の筋は単純で、伝承、事実、神話が織り込まれていますが、その構造は難解となっており、鯨の博物誌といった内容を持つ章があったり、哲学的議論の章もあります。複雑難解な哲学的作品であることは事実ですが、しかし、読み方は自由で、「白鯨」が宇宙的悪を表すとか、エイハブが人間の不屈の意志を表すなどさまざまな解釈が可能といわれています。

 

Ⅱ. 南北戦争以後~第一次世界大戦

アメリカン・リアリズム

ウォルト・ホイットマン(1819-1892)

彼の作品はアメリカ文学の金字塔の一つとして数えられます。彼の詩は19世紀のアメリカの風景と事物のカタログとなっています。「草の葉」はホイットマンが生涯書き続けた作品であり、この一連の著作のうち最も重要な詩は「ぼく自身の歌」で、ここにはホイットマンの主要テーマのすべてが歌われています。彼の詩の形式は斬新で、ホイットマンによってアメリカ詩は旧来のヨーロッパの伝統から決別できたと言われています。彼は自由詩の可能性を最大限に模索した最初のアメリカ詩人となったのです。伝えたいメッセージを通常の技法を使用せず、平易なスタイルで語りました。

 

マーク・トウェイン(1835-1910)

ミズーリ州に生まれ、ミシシッピ河畔のハンニバルで育ちました。印刷工を経て、水先案内人として働いた後、新聞記者に転身。西部フロンティアが生み出した最初の偉大な作家です。ヨーロッパに対し劣等感を持たず、アメリカ民主主義を語り、アメリカ民衆の口語を生かした文体を確立しました。彼はリアリストとしてウォルター・スコット流のロマンスを徹底的に攻撃しましたが、ミシシッピー河を舞台にした彼の作品の底には少年時代への郷愁、ロマンティシズムも見られなくはありません。チャールズ・ダッドリー・ウォーナーとの合作で発表した、「金ぴか時代」は当時の拝金主義と政治腐敗という風潮を風刺しており、南北戦争後の混乱期の呼び名としても広く使われました。主要な作品は「ハックルベリー・フィンの冒険」などで、この作品はピカレスクの形式をとった通過儀礼の小説です。この「ハックルベリー・フィン」の系譜はサリンジャー、ソール・ベローへと続くことになります。

 

ヘンリー・ジェイムズ(1843-1916)

ニューヨークの裕福な家庭に生まれました。彼はアメリカを舞台にした短編小説家ら出発し、初期の小説はアメリカ対ヨーロッパという主題を扱いました。いわゆる「国際もの」といわれる作品が多く、中期の作品で最も充実しているのは「ある婦人の肖像」です。これは純粋なアメリカの女性の悲劇を扱っている作品で、これまでの作品に見られるアメリカ対ヨーロッパの対比を含んでいますが、心理的描写が丹念であり、中心主題であるヒロインの精神的成長を見事に描かれています。後期の作品で重要なものは「鳩の翼」、「使者たち」、「黄金の杯」などで、これらは近代心理小説の先駆と言われており、その構造と文体は複雑で難解といわれています。

 

自然主義小説

南北戦争以後に生まれた若い世代の作家は積極的に下層社会の醜悪な生活を描き、アメリカン・リアリズムの領域を広げました。彼らはダーウィンの進化論やハーバート・スペンサーの社会進化論や、またヨーロッパの自然主義小説の影響を受け、決定論的な立場から本能、欲望、環境を描いたので自然主義作家と言われています。

 

スティーブン・クレイン(1871-1900)

牧師の子としてニュージャージーに生まれました。ジャーナリストおよび作家として活躍。代表作「街の女マギー」。

 

セオドア・ドライサー(1870-1945)

インディアナ州に生まれ、シカゴでの新聞記者を経て作家となりました。彼はハーバート・スペンサーの社会進化論に強い影響を受けました。代表作は「シスター・キャリー」。ドライサーは不倫を重ねる女が富と名声を手中にし、しかも社会的制裁を受けずにいるという、この作品で因習的道徳に対する公然たる反抗を試みましたが、これは新しい小説の時代の到来を告げるものであったといわれています。事実を細大漏らさず克明に記録し、作者自身の思想や感情を忠実に、あまさず表現する文章は、生硬で読みづらいですが、力強さがあり独自の文体を形成しています。ニューヨーク州で起きた殺人事件をもとに著した「アメリカの悲劇」は自然主義的な文章の典型として知られており、この作品によって、アメリカ自然主義小説は頂点に達したといわれています。

 

地方主義小説

シンクレア・ルイス(1885-1951)

シンクレアは中西部出身であり、中西部の田舎町を描いた地方主義作家です。代表作は「本町通り」。1930年にアメリカの文学者として初のノーベル賞を受賞しました。ルイスはカメラを持った「写真のようなリアリズム」といわれたほどで、目に映るものすべてを記録しました。社会的関心が強く、問題意識の強い作品が多いのが特徴です。

 

Ⅲ. 大戦の間

ロスト・ジェネレーションの小説

ロストジェネレーションとは第一次大戦に成年期をむかえ、戦争体験によって既存の理想や価値観に不信感を抱き、若いエネルギーをもって、新しい生き方を求めた世代のことです。「ジャズ・エイジ」とも「狂乱の20年代」とも呼ばれる活気にあふれた混乱と変化の時代でした。彼らは浅はかなアメリカ文化に反発し、国外離脱者となりヨーロッパに渡り、主としてパリで文学修行に励み、エリオット、ジョイス、パウンド、スタインらの影響を受けながらやがて戦争体験によって得た思想にふさわしい個性的な表現を見出しました。この「ロスト・ジェネレーション」という言葉は、ヘミングウェイが「日はまた昇る」の巻頭でスタインの言葉として引用し有名になりましたが、事実はスタインがパリの自動車修理工場で耳にした罵り言葉「お前たちはろくでなし」に由来するといわれています。

 

フランシス・スコット・フィッツジェラルド(1896-1940)

セントポールの名家に生まれました。「楽園のこちら側」は記念すべきロスト・ジェネレーションの記録すべき最初の作品です。後の作品「華麗なるギャツビー」は彼の傑作であるばかりでなく、「ジャズ・エイジ」の代表作でもあります。主人公ギャツビーは成功への夢を追い続けるのですが、これは彼個人の夢だけではなく「アメリカの夢」をも象徴する作品に仕上がっています。

 

アーネスト・ヘミングウェイ(1899-1961)

イリノイ州シカゴ近郊のオーク・パークに生まれた。父の趣味である狩猟や釣りがヘミングウェイ生涯の趣味となりました。高校卒業の後新聞記者となり、簡潔な文章を書く修行を積みました。第一次大戦が始まると赤十字の救急車の運転手に志願し、イタリア戦線で敵弾を受けアメリカ人として最初の戦傷者となりました。のちにカナダでトロント・スターの記者となり、シカゴでアンダソンらと交際、創作に励みました。「日はまた昇る」はヘミングウェイを一躍有名にし、「ロスト・ジェネレーション」という言葉を流行させた作品です。この作品は特に一貫した筋はなく、エピソードを集めたような形をとりフランスとスペインを舞台に、国外離脱したアメリカ人の青春群像を描いています。続く「武器よさらば」は戦争と愛を主題にした作品であり、戦傷、看護婦との恋愛などヘミングウェイの実体験と重なりあうところが多い。また、これは戦争の残酷さ、愚劣さを描き帆船小説と言われています。一時筆力が衰えたかにみえたが、「老人と海」は絶賛を博し、ピューリッツァ賞、ノーベル賞を受賞しました。