イタリア旅行記

 

I. まずはミラノへ

1. 出発前のハプニング

僕たちにとっては初めてのイタリア旅行だが、最近では旅にも結構なれてきたこともあって、準備にはそれほど時間がかからない。以前のフランス行きと同様、成田を夜出発だったので、会社が終わってから成田へ向かえば十分間に合う。ところが、出発の日の午後エールフランスから連絡があった。フランスからの機材到着が遅れ、日本出発は翌朝になるという。旅行にこんなことはつきものなので、腹を立てても仕方がない。とりあえず先方のオファーを受け、朝出発に備えて、準備してくれた成田近辺のホテルに泊まることにした。

今回の旅程は往路が成田―パリ経由―ミラノのリナーテ空港行きで、復路がローマ―パリ経由―成田だった。当初の到着予定の日に例の「最期の晩餐」の観覧を予約していたのだが、どうも間に合いそうにない。電話連絡したものの翌日は予約でいっぱいらしい。結局僕たちは「最期の晩餐」をあきらめなければならない羽目になってしまった。もちろん事前にクレジット決済しているので、エールフランスとの交渉になる。旅には天候不良などの不可抗力もつきものだし、予定通りに飛ばないときだってあるものだ。

エールフランスが準備してくれたホテルに泊まることになったが、まず通常通り出国カウンターに行く必要があるとのことだ。そこで手続きをした後、送迎バスにて案内してくれるらしい。僕たちがカウンターに並んだとき、近くのカウンターから怒鳴り声が聞こえてきた。男性1人と女性2人のグループのようであったが、どうもフライトが遅れるということが、うまく伝わってなかったらしい。空港に来て初めて知ったのだろう。とにかく地上職員に怒鳴り散らしている。あまりの剣幕に他の客も怪訝そうに見ていた。まさか自分たちが同じような目にあうとはつゆ知らず、正直言うと僕たちも、彼らのことを大人げないと思っていた。その時は僕たちは怒鳴っても自体は変わらないことが分かっていたので、とりあえずさっさとホテルへ移動し、体を休めることにした。

 

2. 悪いことは続くもの

翌日いよいよフランスへ向けて出発となった。飛行機は順調に13時間のフライトの後、何事もなくパリへ到着した。僕は飛行機を降り乗り換えのゲートに向かったとき、ふと財布がないことに気がついた。上着のポケットに入れて、その服を無造作にラックに載せていたことを思い出した。きっとポケットからラックにすべり落ちたのだろうと思い、地上職員に調べてくれるようお願いしたが、残念ながら結局財布は出てはこなかった。現金は大して入ってなかったのは幸いだったが、キャッシュカードやクレジットカードをストップするのに手間取った。気分的に結構へこみはしたが、2人の友達になぐさめられ、気を取り直してミラノに向かうことにした。

搭乗口に行くと飛行機自分たちの乗る飛行機の掲示が見当たらない。おかしいと思い近くの職員に尋ねると、事の真相をはっきりと言わず、案内カウンターに行けというばかり。またそのカウンターも長蛇の列で、やっと自分たちの順番が回ってきたときには、飛行機が出発する時間は過ぎていた。しかし心配は無用だった。飛行機自体飛んでなかったのだから・・・。職員は、あなたたちの予約はキャンセルされているので、翌日便でミラノへ行けという。それは受け入れられないと激しく抗議すると、係のおじさんはしぶしぶ発券しチケットを3枚僕たちに手渡した。詳しい説明もなしに・・・。

カウンターを離れる前にチケットを確認すると、なんとアムステルダム経由ミラノ行きのチケットだった。さすがの僕もキレてしまい、何とかしろと再度激しく迫った。結局、荷物が機内持込だったことが幸いし、ミラノにあるもう一つの空港、マルペンサ空港行きに振り替えることができるという。もしも荷物を預けてしまっていたら、荷物は自動的にリナーテ行きの便に積み替えられる。すると後々めんどうなことになるので、乗客もリナーテ行きにしか乗せられないという。機内持込だった君たちはラッキーだと笑みすら浮かべ、申し訳ないという態度は微塵もみせない、このおじさんは一体どんな神経の持ち主なのだろうと思った。正直、「マルペンサ行きがあるんだったら先に言えよ!」と思った。僕たちがなぜリナーテ空港行きを予約したか、それはホテルへより近いからだった。マルペンサからだと結構時間がかかるし、タクシー代も結構かかる。夜遅くに到着したのでレストランも軒並み閉店している。しょうがないので、激しい雨が降っている中、パニーニと飲み物を買うためにホテルを出た。くたくたに疲れていた上に、傘が役に立たないほどの激しい雨で服もびしょびしょになり散々な思いをした。

翌日からはいやな事を忘れて楽しもうと街にくりだした。まず手始めにドゥオーモへ行くことにした。イタリアは悪いやつらが多いと評判だが、その評判どおりの事がドゥオーモ前の広場では繰り広げられていた。僕たちはすでに手口を知っていたので、引っかかることはなかったが、なかなかの知能犯である。まず観光客に数十粒のトウモロコシをにぎらせ、鳩にエサをやってみろと勧めるのだ。すると鳩がたくさん寄ってきて、肩に止まったり、手に止まったり観光客は大喜び。鳩がエサを食べ終わると、観光客は男に「ありがとう」と言って去っていこうとする。

トラブルはそこからだ。男は「鳩のエサ代を払ってくれ」と観光客に詰め寄る。またその値段が高いことといったらない。10ユーロほども請求しているようだった。怒鳴って払わずに去る客、しぶしぶ支払う客と十人十色である。しばらく観察していて思ったのは「大声で怒鳴って去っていく」のが一番利口だということ。自分の母国語でもいから、とにかくまくし立てればいいわけだ。どうも悪さをする人間の大半は移民のイタリア人のようだった。

ミラノでは結局「最後の晩餐」を目にすることはなかった。これもエールフランスのおかげである。僕たちにとってミラノはそれほど見るべきものは多くはない。しかしよく耳にする「スカラ座」くらいは見ておきたいと、正面まで行ってみることにした。まさか自分がスカラ座の前に立つなど、いまから数年前には想像すらできなかったが、クラシック好きの僕にはちょっと感慨深いことであった。

次に友達がスウォッチの限定品を買いたいということで、スピガ通りにある店に行ってみることにした。このスピガ通りはブランドショップが立ち並んでいる。またこの通りはやたら多くの日本人が歩いていた。ブランドものを買いにきた女性達だ。あちこちのショップの紙袋をいくつもぶら下げているのはちょっとみっともなく見える。なぜか僕たちまで恥ずかしく思ってしまった。ところでこの通りの出口にある店で買った焼き栗はことのほかおいしかった。スピガ通りではぜひ焼き栗を・・・。

ミラノ,マルペンサ空港

ミラノ,マルペンサ空港

 

 

ミラノのフェラーリショップ

ミラノのフェラーリショップ

 

 

ドゥオーモ

ドゥオーモ

 

 

鳩のエサでぼったくり

鳩のエサでぼったくり

 

 

イタリアの栗は超おいしい!

イタリアの栗は超おいしい!

 

 

ミラノスカラ座

ミラノスカラ座

 

 

ミラノ中央駅

ミラノ中央駅

 

 

ミラノ中央駅のホーム

ミラノ中央駅のホーム

 

II. ヴェネチアを経由してフィレンツェへ

1. 水の都ヴェネチア

ミラノからヴェネチアへは列車での移動である。チケットの買い方は意外に簡単。自動販売機で簡単に買える。英語でのディスプレイがあるので、困ることはほとんどない。ヴェネチアに行く前にクレモナにも寄ってみたかったのだが、今回の旅はいろいろとアクシデントが多いので、あまりハメをはずさず、ゆとりを持って行動しようということで、クレモナ行きは次回に譲ることにした。

ヴェネチアは潮の香りが漂っている。とはいえ、いいにおいといいうわけではない。ちょっと汚れた海のにおい、言い換えればドブのようなにおいがするのだ。僕たちのホテルはサンマルコ広場から2、3分のところなので、とりあえず水上バスでサンマルコまで行くことにした。きっと歩いて行っても大したことはないとは思うが、荷物を持ったまま初めての土地をうろつくのは気がすすまない。それにしても、よくテレビや雑誌などで目にする景色が、現実に目の前にあることが不思議な感じだった。行きかう水上バスと、細い水路まで入っていくゴンドラが「ヨーロッパにいる」という実感を味あわせてくれる。

ホテルで一休みし、サン・マルコ寺院周辺から散策を始めることにした。細い路地を抜け、迷路を進むように行くと、人通りのない暗く危険な香りのする通りへと出てしまった。ヴェネチアの治安のことはよく知らないが、日が暮れかかっていたので、とにかく人通りの多いほうへ移動した。そのうちリアルト橋に出たが、さらに歩き回っているうちにアカデミア橋にまで来てしまった。ヴェネチアは景色は最高だが、実は長い時間をすごすのにはちょっと退屈する。当初ヴェネチア一泊というのはちょっと短すぎるかなとも思っていたが、結果的には僕たちには十分だった。

翌日ホテルで朝食を摂り、チェックアウトすると、再度水上バスでサンタルチア駅に向かった。ちなみにイタリアのホテルの朝食はたいてい宿泊料金に含まれていることが多い。食事はたいていデニッシュ生地のパンにハム、チーズといったところだが、フランスと違うのは、デニッシュに甘いアイシングがかかっていることだ。甘い菓子パン風のものが多いのが気になるといえば気になる。そのほかにも日本の食パンを小型にしたようなパンがあったが、こっちのほうがずっとよかった。朝から甘い菓子パンはどうもいただけない。食事の後は水上バスでサンタルチア駅へと向かった。ヴェネチアをあとにした僕たちが次に向かうのはフィレンツェだ。

ブレシアの駅

ブレシアの駅

 

 

ヴェローナ駅

ヴェローナ駅

 

 

サンタルチア駅

サンタルチア駅

 

 

ヴェネチアの水路

ヴェネチアの水路

 

 

サンマルコ寺院

サンマルコ寺院

 

 

ヴェネチアのゴンドラ

ヴェネチアのゴンドラ

 

2. 芸術の街フィレンツエ

トスカーナ州の州都フィレンツェはアルノ川河畔にある街で、長らくメディチ家の支配下にあったことでもよく知られている。アルノ川の景色が美しいとのことで、できるだけ川に近くてリーズナブルなホテルを選んだ。どうも地図を見るだけでは、ホテル周囲の雰囲気までは分からない。アルノ川の景観が売りのそのホテルも、実際には部屋は1階で、川など微塵も見えなかった。しかし部屋の状態はそれほど悪くないし、天井も高く、圧迫感がない。なかなかよいホテルだった。

とりあえずアルノ川に沿って街へ歩いていくことにした。時間は夕刻だったが、街の景色が水面に反射してすばらしく美しい。僕はこれほど美しい川と街の景色を見たことはない。とにかく絵に描いたような景色だった。実はフィレンツェには一番期待をしていなかった。何となく田舎くさい印象があったのと、美術や建築にはそれほど興味もないからである。ところが実際にはミラノやヴェネチアよりも楽しむことができた。プッチーニのオペラ、ジャンニスキッキでも歌われているヴェッキオ橋はフィレンツェで最も古い橋だ。両側にはアクセサリーの店が軒を連ねているが、もともとは肉屋がならんでいたそうだ。なにやら悪臭を嫌い、フェルディナンド1世がそれらの店を追放したそうだ。

フィレンツェのある店のショーウィンドウにあったシステム手帳がちょっと気に入った。ほとんど買うつもりで見せてもらったのだが、機能がちょっと僕の趣味に合わなかったのでやめた。代わりに友達がそのシステム手帳を買ったのだが、じつは結構人気のブランドだったということが後で分かった。日本でもあまり多くの店では扱ってないので、ブランドにはあまり興味のない僕でも買っておけばよかったかなとちょっと後悔した。デザインや機能はかなりいい線をいっていたそのブランドはPIQUADRO。ただその時に欲しかったファスナータイプでなかったので結局買わなかった。後日ローマで偶然直営店を見つけ、いろいろなタイプの手帳をみたが、今度は値段が高かったのであきらめた。

夜には昼間にたまたま通りかかった教会で知った演奏会に足を運んだ。偶然にもそのころはまっていた、クライスラーの曲を聴くことができた。教会で音楽を聴くのは、本当にヨーロッパ的で、実際に自分がヨーロッパにいるということを実感させてくれる。超一流のプロというわけではないだろうが、演奏も水準以上でとても楽しめた。そういえばフィレンツェは音楽家からも愛されている町だ。世界的チェリストのガスパール・カサドと夫人でピアニストであった原智恵子さんももここフィレンツェで暮らしたことを思い出した。

フィレンツェのアルノ川

フィレンツェのアルノ川

 

 

アルノ川の夕暮とヴェッキオ橋

アルノ川の夕暮とヴェッキオ橋

 

 

メディチ家の回廊付近

メディチ家の回廊付近

 

 

フィレンツェの露天

フィレンツェの露天

 

III. ローマ

1. ローマは見るべきものがたくさん

最後の観光地ローマは今回の旅行で一番見るべきところが多い場所である。ローマ・テルミニ駅から2つ目のマンゾーニ駅からすぐのところにあるホテルに泊まった。荷物を置くと、古代ローマ時代に造られた円形闘技場であるコロッセオに向かった。ホテルから歩くには少々時間がかかったが、旅行とうのは何気ない町並みすら目に新しいものばかりである。とりあえずコロッセオを見物し、近くのピッツェリアでパスタを食べた。有名でもなんでもない店のパスタでもそこそこいけるものであるが、以前フランスで食べたパスタのほうが実はおいしかった。さてこの日の夜にはあのトレヴィの泉へと足を運んだ。夜のトレヴィの泉はなかなか美しいものだった。もっと広い場所にあるのをイメージしていたが、実際には狭い場所にある泉で、泉を中心に小道が放射状に広がっている感じだった。つづいてローマの休日でもおなじみのスペイン広場へ行ってみることにした。スペイン広場でジェラートといきたいところだが、実はここは飲食禁止である。老若男女が階段のあちこちに腰掛け、写真を撮っている。旅行ガイドによれば階段を上のほうは治安がよくなということだ。この日はローマ初日で疲れていたこともあり、スペイン広場のあとは早々にホテルに引き上げた。

2日目は朝食をとった後11::00ごろホテルを出た。ところでヨーロッパのホテルはほとんど朝食が付いているのがうれしい。あちこち観光したいときには手間も省けるし助かる。まず最初に向かったところはテルミニ駅周辺。テルミニで観光バスのチケットを買いローマを適当に回ることにした。バスのチケットは13ユーロで、好きなところで乗ったり、降りたりすることができる。ニューヨークでいうところのHop-On and Hop-Off の循環バスのようなものだ。ニューヨークと違うところは公共の交通運賃が安いこと。イタリアは列車での移動でも安くあがるのがいい。さてこのバスでまずはサンタ・マリア・イン・コスメディン教会にある真実の口に向かった。口に手を入れると、偽りの心を持った者は手首を切り落とされるか、手が抜けなくなるといわれている誰もが知っている場所だ。後に通りかかったときには長蛇の列だったが、この時はラッキーなことに誰もいなかった。ローマは見るべきものがたくさんあるし、市内のあちこちに点在しているので歩いて全部回ることは到底できない。真実の口を見た後はぶらぶらと道なりにしばらく歩いていると休憩するのによさそうな場所にたどりついた。大競技場跡のチルコ・マッシモだったと思うが、一面の緑が美しく、休憩するにはちょううどいい場所だった。その後また循環バスに乗り込み、ヴァチカンに向かうことにした。この循環バスはいわゆる二階建て式になっていて、二階部分はオープンになっているので写真を撮るには都合がいい。座ったままあちこちの名所の写真撮影ができるというわけだ。

カトリックの総本山ヴァチカンは多くの人でごった返していた。内部も荘厳でとても言葉では言いあらわせないほどすばらしいものだったが、事前にもっとヴァチカンについて勉強していればもっと楽しめたに違いないと思った。人の多さのせいか、一通り見物すると、気疲れしてきた。あるいは腹がすいていたせいかもしれない。とにかくちょっと早いが夕食にすることにした。適当なレストランを見つけてまたパスタとピザを注文すると、3人でシェアできるようにわざわざ大皿に盛り付けてくれ、取り皿であれやこれやと楽しむことができた。こんな何気ない店員の気遣いがとてもうれしかった。食事が終わったら今度はジェラートである。たしかトレヴィの泉周辺のどこかのジェラート屋で、結構人気の店のようだった。若い男の店員はイタリア語で面白いことを言っては女性客を笑わせている。言葉の端々になにやら日本語のような言葉が聞こえてきた。「ち●ちん」とかなんとか・・・。その女性客達にとっては、どうもその単語の響きがおかしい。その店員は、ご丁寧にもその意味まで説明していたようだった。そのうち僕達の話し声から日本人観光客だと分かると、店員はバツが悪そうな顔をしてみせた。しかし肝心なジェラートのほうはフレーバーも数多く、とてもおいしかった。それからスーパーでいろいろ買い物をした後に、明日のチェックアウトに備えて早めにてホテルに戻った。

往路の遅れがなければ、本来この日は本当ならイタリアを経つ日だったがスケジュールは一日ずれ込んでいた。泊まっていたホテルも部屋の空きがなく延泊はできないので、別のホテルに移らなければいけない。出発から予定が狂っていたので、次のホテルは日本であらかじめ予約しておいた。その最後の一泊はちょっと治安が悪いエリアだけど、空港へアクセスしやすいテルミニ駅の近くのホテルだった。外からみると超キタナイ感じで、通りにもヤバそうな人がいっぱいいたけど、あまり気にならなかった。きっと雰囲気が僕が住んでいる池袋に似ていたせいかもしれない。部屋に入ってみると外観から想像していたよりずっと部屋が広くて、しかも清潔で、文句なしだった。時間はまだ午前中だったので、とりあえず最後のローマを楽しむつもりで早々に出かけることにした。治安の悪い地域なので、スーツケースをチェーンで3連結した上、さらに別のチェーンでクローゼットにぐるぐる巻きにしてロックしておいた。

この日は、まず見物に時間がかかりそうだけれど、はずすことができないフォロ・ロマーノへ向かった。フォロ・ロマーノは紀元前5世紀頃に建てられた神殿などの遺跡である。僕たちは適当に見物して済ませたが、これをきちんと見て歩くとかなり時間がかかるだろう。ここで歩き回ったせいで足もくたくたになった。英語も通じないようなところで路線バスに乗るのはためらったが、疲れていたせいもあり、とりあえずテルミニに向かうバスに乗ることにした。中はもうギュウギュウに込んでいて、なんか怪しげな人が多い。実際スリがバスや電車に多いことは知っていたので僕たち3人ともバッグを前に持ち、腕で厳重にガードした。まもなく駅に到着すると、早速周辺の店にショッピングに出かけた。もちろん僕たちはそれほどブランドものには興味がないので、もっぱら珍しいお菓子とか、ちょっとした服(安物)を買うくらいものだ。買い物が一段落し、食事を済ますと、もう23時を過ぎていた。翌日の出発準備をしなければいけないので、あわててとホテルへと戻ることにした。

コロッセオ

コロッセオ

 

 

真実の口

真実の口

 

 

チルコ・マッシモ

チルコ・マッシモ

 

 

サン・ピエトロ大聖堂

サン・ピエトロ大聖堂

 

 

スペイン広場

スペイン広場

 

 

裏道のカフェ

裏道のカフェ

 

2. 帰国へ―思いもよらないハプニング

ローマを発つ日がやってきた。フィウミチーノ空港からパリ経由東京へのフライトだ。空港へ向かうにはまだ早すぎるが、10時にチェックアウトしなければいけない。こんな時に便利がいいのがJCBプラザだ。JCBプラザは無料で荷物をあずかってくれるし、新聞を読んだり、お茶したりと、いつも本当に助かる。使うカードはほとんどVISA(僕の場合は)だが、このためだけにでもJCBカードを持ち続けている。海外旅行保険も自動付帯なので安心だ。やがて空港へ出発する時間が近づいたのでJCBプラザに戻り荷物を受け取った。まず地下鉄でテルミニ駅に向かいフィウミチーノ空港行の電車に乗り換える。空港に着くと何はともあれアリタリア航空のカウンターで搭乗手続きを済ますことにした。コードシェアなので実際に乗る機体はアリタリア航空だったからだ。旅程表を3人分出すと、どうも担当の女性職員の様子がおかしい。何もものを言わないが、キーボードをカチャカチャ叩いては首をかしげてばかり・・・。業を煮やし「一体何が起きてるのか?」と聞くと、旅程表には書いてあるが、実際には予約がないようだと言う。実際日本を出発するときに事前に座席指定しているのに、一体どうなっているのか・・・。しかも日本からの出発便も翌朝にずれ込んだし、続くミラノ行きの便もキャンセルされていたし・・・。僕は「もともと予約がなかったのか、それともキャンセルされたのか」を問いただした。するとキャンセルされたようだといいながらもどうも要領を得ない。もう腹が立ってしょうがなかった僕は、とにかく何とかしろとまくし立てた。このフライトに間に合わなければ、パリで乗り換える東京行きの便にも乗れなくなる可能性がある。それだけは避けたかったので「何とか乗り換えに間に合うように、他の便でもいいから何とかしろと」と怒鳴りまくった。フライトのキャンセルにはやむ得ない場合があることは理解している。それは天候不良や機体に不具合がある場合だ。そんな時に安全をないがしろにしてまで飛んでもらいたくはない。事実僕たちは東京出発が翌日にずれ込んだことに関しては納得し、航空会社にクレームをつけることもなかった。話は戻るが、アリタリアの女性職員はどういうわけか他の便に空席が見つかったので、それでパリまで行ってくれと言い出した。何も言わなければ泣き寝入りで、怒りをあらわにして主張すると空席ができるというのもおかしな話だ。とにかくパリでの乗り換えに間に合うと分かりほっと胸をなでおろした。その時だった。突然友達が「あ~やられてるっ!」と叫んだ。僕は振り返り「えっ?」と言うやいなや肩からかけている自分のバッグを見た。バッグの側面がパックリと口をあけていたのだ。どうやら鋭利な刃物で切られたらしい。状況から考えて、JCBプラザを出て乗った地下鉄の中だと直感した。そういえばテルミニ駅の一駅前でドッと人が乗ってきて結構込んでいた。きっとそのときにやられたに違いない。しかも最悪なことに中には本2冊しか残ってなかった。実はこの旅行中にどうしても読まなければいけない本があり、そのことに気をとられていたのがいけなかった。しかもこの本が重いので、他のものを抜かれていても気が付かなかった。かなり用心深い僕にしてはありえないことだった。システム手帳や電子辞書ほか数点の被害である。残念なことに搭乗の時間が迫っていたので、ローマで警察に届けるわけにもいかなかった。とりあえず飛行機に乗り、それからどう対処しようか考えることにした。

余裕をもってパリに到着することができた。盗難にあった件はイタリアをすでに離れていることもあり、成田で日本の警察に届けをだすことにした。まずは乗り換えの手続きのためエールフランスのカウンターに並んだ。しかししばらくしても職員は走り回っているだけで、なかなか搭乗手続きが始まらない。なんかおかしな空気が漂っていた。そのうち僕たちの列にやってきて、オーバーブッキングのため乗れない可能性があると言ってきた。何人もの人が次々と翌日便に振替のため他のカウンターに並んでいる。結構な数のオーバーブッキングだ。このときはまだ自分たち乗れないとは思ってなかった。職員の言い方も絶対乗れないというわけではないと言っていたし・・・。以前ノースウエストでサンフランシスコで足止めを食ったときは、お詫びにマイルをくれた。もちろん延泊のホテル代も航空会社負担だった。でも今回はマイルとかそんな問題ではなかった。出発からすべてのフライトに問題があったし、そのことで怒りは頂点に達していた。その上カウンターの女性職員は恐ろしく無愛想で、ぶっきらぼうに「チケットを見せろ」言う。しかし搭乗手続きが終わってないのにチケットなど手元にあるはずもない。まだ発券されてないのだから・・・。僕は「チケットはまだ発券されてない」と答えると「分かってるっ!とにかくその手に持っているのを出してっ!」とまたも無愛想に言い放った。旅程表を渡して何か入力しているが、何も言わずにただ旅程表を返された。まったく何を考えているのかさっぱりわからない。怒りのあまり、僕は続いて対応した日本人職員に出発便からこれまでのひどいありさまを大声でまくしたてていた。なんとかうまくごまかそうとするその日本人職員に普段おとなしい僕の友達も「まず黙って話を聞け」と声を荒げたほどだ。

しばらく待たされた後、その日本人職員が「バラバラではあるが3人分席がとれた」と言ってきた。当初は頑なに無理といっていたにもかかわらず・・・。激しくクレームをつければ席が取れるなんてまたもやおかしな話だ・・・。しかし僕たちは13時間という長い時間をバラバラの席に乗る気はなかった。そこで結局航空会社の準備したホテルに一泊し翌日のフライトで帰国することにした。しかしその選択が賢明だったことは後で分かった。というのも無理して前日に帰れば、謝られてそれで終わりとなったろうが、翌日便にしたことで後日お詫びとして払い戻しがあった。チケット代がほとんど戻ってきたようなものだ。実際にはエコノミーでの返金額は一律だろうが、チケットを買った金額がそれに近かったことで、ほぼ無料で旅行したような結果となった。それから盗難品自体は戻ってこなかったが、ほとんどすべての盗難品が保険でカバーされ金額的にはそれほどの被害にならなかったことも幸いだった。最も残念だったのはむしろ手帳に書かれたいろいろな情報のほうだ・・・。

スリに切られたバッグ

スリに切られたバッグ

 

3. 保険と携帯電話

今回の旅を通じて思ったことが2つある。1つは必ず保険に入るということ。あるいは海外旅行保険付帯のクレジットカードをもっておくことだ。また約款もよく読んでおくことをお勧めする。僕は3枚の旅行保険つきのクレジットカードを持っているが、ある一枚は旅行に携帯しているだけでもよいのもあれば、そのカードを使って旅行にかかわる何かを購入した時点から保険が有効のものもある。もし都内から成田までの電車代をカードで支払えばその時点からだし、海外に行ってはじめて何か買い物をしたとすれば、その時点から保険の適用となる。もしその前に盗難にあったら保険は何もカバーしてくれない。次は海外で使用できる携帯をもっていること。今回往路で財布を失くした際も携帯が大活躍した。電話代がかなりかかったが、ほったらかしにしておいてカード被害にあうよりはましだ。カード会社によってはとかけ直してくれたり、コレクトコールに応じてくれたり、どこの会社もかなり親切な対応である。最近の携帯はDOCOMOの905シリーズなどをはじめGSMと3Gのデュアルバンドがあるので、それを持っていると安心だ。